続・ほのぼの日記

いらっしゃいませ!ほのぼのしてもらえるようなエピソード、あり〼

雑巾も絞れない!?

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ある夜のこと。

ダンダンダンと、ドアを叩くものがいる。

「おい、ぽっかおる?」

ダンダンダン。

 

 

パソコンで作業をしていたわたしは、ゆっくり顔を上げた。こんなふうにのっけから急かすように叩くのはひとりしかいない。待たせると面倒だ。また変なことが起きたかなと思いながら、そっとドアを開けた。そこには予想通りの相手が立っていた。

「どうしたの?」

「ついに犯人がわかった!」

その子は興奮気味に、物騒な言葉を口にした。

「犯人?」

「ほら、最近の!洗面所の!」

「なんだっけ?」

わたしがピンとこないでいると、その子はだんだんイライラしてきたのか、声を低めて吐き捨てるように言った。

「だから、鏡の水滴事件!」

 

 

——ああ、あれか。

そう言われてやっとピンときた。

 

 

ここ数日、寮の共同洗面所では、不可解なことが起きていた。

鏡が一面上水滴におおわれて、顔もうまくみれないほどに曇っていたのだ。梅雨の季節でもない。というか、霜や結露といったレベルではない。とにかく、泥混じりの雨が横殴りに吹き付けられて、そのまま残ってしまったという具合なのだ。

 

 

1日目はわたしたちがきれいにぬぐっておいた。

2日目、さすがにおかしいぞと思いながら、またぬぐった。

そして今日。

ついにその理由がわかったというのだ。

 

 

「誰だったの?」

聞くと、目を輝かせて教えてくれた。

「1年の子。姫。目撃しちゃった」

「なにを?」

「姫、しばらく洗面所の掃除当番だったんよ!怪しいなと思ったから、掃除が終わった直後にもう一度洗面所行ってみたの。そしたら案の定、鏡がまた水滴でいっぱいになってた。あれは奴の仕業だわ」

なるほど、と思いながら、報告するときの楽しそうな様子を見てやれやれと思った。それはまさに、噂好きのおばちゃんさながらだったから(そんなことを指摘したら首を絞められそうだけど)。突き止められて相当嬉しいらしい。

ちなみに姫というのは、その子が勝手につけた悪意のあるあだ名だった。プリンセスではなく、日本古来の、いわゆる平安貴族的な姫に似ているという意味でつけたらしい。

 

 

 

「だから、ぽっか、姫の部屋に行って」

「……え?」

いきなり言われたことばに、反応が遅れた。

 

 

「だから、姫の部屋に行って、聞いてきて」

「なんでわたしが…」

「いや、ここはぽっかが言う方がうまくいくでしょ。当たりが柔らかいし。自治会メンバーだったし?」

「え〜、自分でいけばいいじゃん。なんて言えばいいの」

「なんでもいい、先輩としてガツンと!」

 

 

 

そうなのだ、その子は気が強いくせに、矢面に立つのは嫌いな子だった。根っからの妹体質とでも言えばいいのだろうか。そうしてわたしはその子に頼まれると、なぜかついつい引き受けてしまう。

今回もいつのまにか、なんだかよくわからないうちに後輩の部屋にガツンと言いにいくことになってしまった。わたしもついていくから大丈夫などと、丸め込まれて。あれ、なんで応援される方になっているんだ?まあどっちにしても、早いうちに解決しておいた方がいい問題だからいいか。そんな風に納得しながら。

 

 

 

後輩は、鏡のことを指摘されると、ムッとした顔になった。

 

「あの、今の洗面所掃除って〇〇さんだよね?」

「そうですけど」

「鏡がちゃんとふけてないんだけど、知ってる?」

「いえ、ちゃんと掃除してます」

「ありがとう。いや、でも鏡がまだ汚れてるんだけど…」

「掃除しました」

「うん、でも鏡が」

「ちゃんと紙に書かれてある通りにやりました」

 

事情を尋ねようとしても、ちゃんと掃除をしたの一点張り。誹謗中傷は許さないといった固い決意が見られる。どうしたもんかなと困っていると、後ろに控えている彼女がイライラしてきたのが伝わってくる。ここで話していても埒が明かない。そこでいったん後輩にも洗面所にきてもらい、一緒に確認することになった。

 

 

洗面所の鏡は、やっぱり今日も一面の水滴。

その様子を見せながら、「ほら、こうやって汚れているでしょう?」と諭すように言った。これで納得するかと思いきや、ところがどっこい、彼女はまだ固い顔をしている。でも掃除はちゃんとしました、と繰り返してばかりいる。

どうやら彼女の言い分としては、掃除はちゃんとした、鏡も指示通りにふいた、なにも責められる謂れはないということ。先輩二人に、いちゃもんをつけられるのは心外だということ。気持ちはわからないでもない、ここで掃除ができていないと判断されれば、ペナルティとしてさらに掃除当番の日数が伸びる。それなりに時間も取られる、できれば避けたい事態だろう。

 

だけど、綺麗になっていないのは事実である。

う〜ん……。どうしたものか。

 

「分かった、じゃあ、もう一度どういうふうに掃除してたか見せてくれる?鏡をふくだけでいいから。もう一回、最初から鏡を拭いてみせてくれる?」

そう頼むと、後輩は渋々ながらうなづいた。

後輩が掃除しているところを、先輩二人でじーっと観察した。さぞやりづらかったに違いない。しかし、それでやっと問題の所在がわかった。

 

 

彼女、雑巾が絞れていなかった。

 

 

思わず、「「待って待って待って!」」とふたりで止めてしまったほど。雑巾を水で濡らし、両手に持った、ところまではいい。そのあと、気づくか気づかないかのレベルでほんの少しだけねじり、水がぼたぼた垂れたまま鏡にあてがったのだ。一瞬目を閉じてしまって、絞る工程を見逃したかと思った。だけど、彼女の手に持った雑巾からは水がぼたぼた垂れ続けている。

「え、絞った?」

「はい、絞りましたけど?」

後輩は、心底不思議そうな顔をしている。

「水、垂れてるけど?」

わたしの後についてきた彼女が、まっとうな指摘をした。

「……」

「……」

なんとなく気まずい沈黙が漂った。響くのは、雑巾からしたたり落ちる水の音。たしかに、床にも水滴の跡がついているのが不思議だった。それはこういう理由だったらしい。

 

 

 

「……雑巾の絞り方、教えてあげようか?」

「はい、お願いします」

 

 

 

結局、問題は掃除をしていなかったことではなく、掃除の仕方——もっというなら、雑巾の絞り方を知らなかったことにあった。これまでの18年間、誰にも教わらなかったのかもしれない。あまりにも初歩的すぎて、ずっと見逃されてきたのだろうか。そういう状況があったとき、どう対処してきたのだろうか。

見本を見せながら、持ち方、力を入れる向き、絞り方…と丁寧に教えていった。それでもなかなかしっかり絞れない。その子はそもそも力を入れるということがわからなかったようだった。「もっと!もっともっと捻って!」と言っても、なかなか絞りきれなかった。それでも最初の水ボタボタ雑巾に比べたらずいぶんましになった。せっかくだから自分で絞った雑巾で、もう一度鏡をふかせた。

 

 

「あ、きれいになりました」

 

 

本人も違いがわかったらしい。

当然だ。

まだ水滴のスジがついており、完璧とは言い難いが、ちゃんと顔が映るようになった。

 

 

***

 

 

「やれやれだね」

「ほんとだよ」

その後、口の悪い友達とふたりで、事の顛末を笑いあった。しかし彼女も、後輩のことを悪く言うことはなかった。知らなかったのなら、知っていけばいい。その子が次の時にも水滴だらけの鏡で満足していたら、そのとき悪態をつけばいい。

常識だと思っていることって、意外と常識じゃないから。

 

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鏡、水滴でいっぱいだよね

 

***

 

おまけ。

 

 

寮では犯人探しがときどき行われる。

中には見つからないものもある。

たとえば、他人が焼いたケーキをつまみ食いした犯人。結局あれは誰だったんだろう……。お腹空いてたのかな……。

 

 

 

 

乙女たちのバスタイム

突然ですが、銭湯は好きですか。

シャワーしかないアパートに住んでいる人間にとっては、ひろい湯船に浸かれるというただ1点で、十分魅力的かもしれない。

京都に住んでいた頃はあちこちに銭湯があって、わたしもたまに利用していた。見ず知らずの人たちだが、誰かと一緒に入れるのがなんとなく楽しかった。

 

 

だがよく考えると、すごい。

人前で裸になるって勇気がいる。

われわれ日本人、街中では下着の線が見えることすら気にする民族だ。ブラの肩紐がはみ出さないかどうか、鏡で入念にチェックしたり。

だというのに、銭湯という空間ではその価値観が消えてなくなる。

「ゆ」と書かれたのれんをくぐって、番台さんにお金を払って、脱衣場に入ってしまえば、そこは異空間。外界とは異なるルールに支配される空間。スッポンポンのおばちゃんが、扇風機の前で涼んでいたりする。

そうとわかっていても、入っていきなり肌色が目に飛び込むと、ギョッとしてしまう。まだ半分街中の気分でいるからだろうか。

 

 

これ、ふしぎなことに、旅館の大浴場では感じない。

旅館の場合、門や渡り廊下など、コチラとアチラを分けるような仕掛けがちゃんとあるからだろうか、非日常の空間として線引きできる。

それに対して銭湯というのは、街中との境界線があいまいで、一応のれんで隔てられてはいるものの、なんの心構えもしないまますーっと入れてしまう。

すーっと入って、お、ハダカだ、とびっくりさせられる。

 

 

そういうふうに感じるの、わたしだけかなあ。

 

 

***

 

そんなことをつらつら考えつつ、大勢でお風呂に入るというのが日常だった頃を思い出す。銭湯が好きなのは、きっと誰かとお風呂に入った楽しい記憶があるからだ。

あの頃は、毎日寮生と一緒にお風呂に入っていた。うん、今から考えたら相当非日常。バスタイムなんて、ふつうならもっともプライベートに属する領域なのに。

 

 

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↑カバーイラストを作ってみた。実際はこんなにかわいい建物じゃなかったけど。



 

 

わたしたちが住んでいた寮、つばめ寮は、トイレも食事も洗濯もすべて共同だった。

もちろんお風呂も。

 

 

お風呂場には、3〜4人がゆったりと浸かれる湯船があった。お湯を張るのも寮生の仕事で、先に入った人がお湯を張らなければいけない。

このとき、温度設定なんてものはできないから、適当に蛇口をひねって調節しなければならない。古い家や安いアパートだとよくあるが、この方式、家を出たばかりの子は意外と知らないようでよくミスがあった。入寮してすぐの時期は、なにも気づかず、熱湯をなみなみと張ってしまう。

わたしと同じタイミングで入寮した子もこの失敗をおかした。運の悪いことに、先に体を洗い終えた先輩が「熱っ!!!!!!」と叫んだことで、そのミスに気づいた。その子は体に泡をつけたまま、「すみません!!!」とオロオロしていた。まだ先輩にビビっていた時期のできごとである。気を利かせて入れてあげたのに、かわいそうに。

 

 

他人とバスタイムを共有して気づいたことがある。それは、体の洗い方にも相当癖があるということ。

当時面白いなと思った人のことは今でも覚えている。

 

 

 

たとえば、髪の毛を洗い終わった後、水気を絞るときに毛先をぴょいっとひっくり返す子がいた。毎回、かならず。くるりん、ぴょいっ。

そうすると水鉄砲のように、水が飛ぶ。

あ、今日もいきおいよく飛んだな、と思う。

だからその子の右サイドで洗う人は要注意である。

 

 

 

もっと要注意なのが、顔の洗い方が独特な子。

彼女はとても姿勢がよく、お風呂用の椅子に腰掛けているときも背筋がぴんっと伸びていた。それはいいが、その姿勢のまま顔を洗うのが問題だった。洗面器から水をすくい、肘をばねのように動かして、水を勢いよく当てる。パシャっ。顔面に対して、垂直に。そう、まるでロボットのように。

あまりにも勢いよく当てるので、はたから見ていて、精神統一でもしているのかなと思うほどだった。

その子の場合は、両サイドが危険だった。

あの勢いで顔を洗うと、確実に水が飛んでくる。

 

顔に出やすいタイプの先輩からは、明らかに嫌がられていた。込み合う時間帯は、どうしても隣に座る必要があるからである。

しばらくして遠慮がちに洗うようなってしまったのは残念だった。垂直にパシャっと水をかけるの、面白かったのに。

 

 

しかし、ひときわ目立っていたのは、全身を石鹸で洗う人。

風呂場に私物はおいておけないので、毎度、各自が洗面器に必要なもの一式をそろえてもっていくのだが、彼女はいつも身軽だった。石鹸オンリー。

髪も、顔も、ぜんぶ石鹸で洗っていく。

そして湯船につかることもなく、ささっと出ていく。

潔い。

口の悪い友達は、彼女のことを「石鹸女」なんて呼んでいた。そう呼べば誰のことだかみんな分かってしまうというのが、寮の怖いところ。だが本人は、まわりから白い目で見られようと、ひそひそとうわさされようと、一向に気にするそぶりを見せなかった。

(長い黒髪は心持ちパサパサしていたが、そんなのは些細なことだったに違いない)

 

 

 

世の中にはいろんは洗い方がある。十人十色。

銭湯では許されないだろうが、寮ではこっそりじっくり観察ができた。

 

 

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パシャッ(垂直)

 

 

***

 

 

ある寒い冬のこと。

その日は、つばめ寮祭というイベントがあって、わたしは自治会の一員として運営やら片付けやらで1日忙しくしていた。ちょっとしたお偉いさんや男子寮の寮生も呼んで、飲めや食えやの大騒ぎ。ゲストの方々をお見送りして、やっと片付けが終わったのはもう日付が変わる頃だった。

 

ふだんならもうお風呂には入れない時間だった。近隣住民のことを考えて、23時になったら自動でボイラーがとまるようになっていた。

 

しかしその晩は寮のために働いたということで、自治会メンバーは特別にお風呂に入ることを許された。寮長さんから、「さっさと入ってこい!今ならまだあったかいぞ!」とけしかけられながら。

祭りの後だ、みんなお酒も入っていて、だいぶ陽気だった。

「はーい!」「やったーっ」「ありがとうございまーす!」

いい返事をして、ギャーギャー騒ぎながら風呂場に向かった。

 

 

地下の風呂場へと続く階段は冷え切っていた。脱衣場にも暖房はない。

夜が更けて、一段と気温が下がったような気がした。東京にも雪が降るんじゃないかと思った。

「寒い寒い!」

「はやく入ろう」

みんなぽいぽいっと服を脱ぐと、浴室になだれ込んだ。他の寮生がさっきまで使っていたからだろう、まだ浴室はあたたかくて、白い湯気が充満していた。

 

 

 

「やったー、まだあったかい!」

シャワーから出るお湯はあたたかくて、一同ほっとした。今日の疲れを洗い流そう。

 

 

 

しかし、その幸せは長くは続かなかった。

23時になったら自動でボイラーが止まる。

無情にも、その設定は変更されていなかったのだ。

 

 

誰が一番先に気づいたのかは覚えていないが、とにかく誰かが声をあげた。

「やばい、シャワーの温度が下がってきた!」

言われてみれば確かにさっきより温度が低い気がする。いやな予感がした。まだ髪の毛に泡がたくさんついているというのに、このまま水になってしまったら……。

「あ、こっちのも冷たくなってきた」

「もしかしてボイラー止まってる?」

「まじ!?」

最悪な事態に気づき、みんなが大慌てになった。とにかく少しでも温度を感じられるうちに洗い流してしまわないといけない。貴重なお湯は、一秒ごとに、大量に、失われている。シャワーの設定温度を60℃まであげても、どんどん温かみが感じられなくなってきた。

「さむーい!!!!」

「冷たい!!!」

喚いてものろっても、悲しいかな、最終的には完全に水になった。真冬の夜に冷たい水をあびる。こんなの修行に他ならない。1日頑張った体に、冷たい水が染み入る。ボイラーよりもうるさい乙女たちの叫びが響き渡った。

 

 

もし、これで湯船がなかったら、自治会メンバーそろって風邪をひいているところだった。

幸いなことに、他の寮生が湯を張ってくれていて、栓が抜かれないまま、まだ湯船にたっぷり湛えられていた。みんな湯船に浸かることだけを楽しみになんとか修行を終え、ひとり、またひとりと湯船に飛び込んだ。

「「「「あったか〜〜い!!!」」」」

冷たい水に打たれた後のあたたかなお湯は、この世のものとは思えない気持ち良さだった。芯まで冷えた体がほどけていくようだった。

数人しか入れない湯船に、なんと同時に九人も入った。ぎゅうぎゅうに入っているのが自分たちでもなんだか面白くなって、大声で笑った。九人の笑い声が天井や壁にこだました。

 

 

「なあ、これ記念に写真撮らん?」

誰かが言い出して、みんながいいね、いいねと賛同した。こんな楽しい瞬間、このまま記憶の海へと流し去ってしまうのはもったいない。

後輩を呼び出して、カメラマンをお願いした。後輩はカメラを受け取った後、何か言いたそうな顔をした。ファインダーを覗きながら、何度も「本当にいいんですか?これ、撮るんですか?」と確かめてきた。

そりゃそうだ、ふつうに考えて、風呂場である。流出したら大問題の写真になる。

それでも妙な連帯感と高揚感に、今ここで撮らなくてはいけない気がしていた。大丈夫大丈夫と押し切ると、後輩はやっと頷いてくれた。

「じゃあいきますよー、はい、チーズ!」

 

 

肌色の肉肉しい写真が撮れた。

その写真を見て、また大笑い。

後輩はまだ困ったような顔をしていたが、わたしたちは大満足だった。冷え込んだ夜の街にも、わたしたちの笑い声が漏れていたに違いない。

 

 

 

それに、それはある意味流出しても平気な写真だった。狭い湯船に大勢で浸かったおかげで、大事なところはしっかり隠れていたのだ。

みんなの赤く上気した顔だけが、もくもくとした湯気の中にうかんでいた。

 

 

***

 

あのときの写真は、携帯電話をかえるタイミングで無くしてしまった。でもそれでよかったのかもしれない。あまりにも肉肉しい写真だったもの。

それでも、シャッターを切った瞬間に、ちゃんと心の中に焼きついた。

 

 

 

みんなでお風呂に入ることが日常だったなんて、今のわたしからすると、ほんとうに非日常。文字通り、裸の付き合いだった。

たまに大勢でお風呂に入る楽しさを求めて銭湯に行ってしまう。

だけどやっぱり銭湯には他人しかいなくて、全然別物だと気づく。

 

 

冬至の日には寮母さんが気を利かせてくれて、柚子がごろごろ浮かんでいたっけ。

わたしたちにとっては半分ボールみたいなものだったけど。

——今度は柚子風呂、再現してみようかな。

 

 

 

 

 

 ↓トイレや洗濯室が共同だったことについてのアレコレ

pocca-poca.hatenablog.com

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本当にオシャレな人と出会う

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寮に暮らし始めて2年目、わたしの部屋は不快になった。

暗くなったし、じめじめするようになったし、うるさくなった。

もともとは南向きの部屋で、狭いながらも快適に暮らしていたのに。なんとつばめ寮は、1年ごとに部屋を交換するシステムだったのだ!

 

 

これがまた面倒で。

1階から3階にお引越しなんてことになると、物が多い人にとっては地獄である。

エレベーターなんてものはないから、ただひたすら手でかかえて運ぶことになる。

部屋を出るときには寮母さんのチェックが入り、掃除がすみずみまで行き届いているかどうか厳しく判定される。やり直しを求められることもしばしば。

(ひきだしにほこりが溜まってたら、ハイやり直し。)

(窓の桟が泥で汚れてたら、ハイ拭いてください。)

 

 

そうやってようやく新しい部屋に引っ越すわけだけど、2年目の部屋はひどかった。

1階の暗い廊下を歩いていって突き当たり、洗濯室とよばれる部屋の隣だったのだ。

洗濯室には4、5台の洗濯機が置いてあって、寮生が自由に使えるようになっていた。水は垂れ流し、部屋の真ん中に排水溝があって、すべての水がそこに流れ込むようになっていた。

そのせいかどうかはわからないが、いつでもじめじめと水の臭いがする気がした。

おまけに建物の構造上、日はほとんど差さなかった。

 

 

洗濯機を使ったことのある人ならわかると思うが、洗濯機というのは意外と暴れ回る。

どんどんどん、ゴゥンゴゥンゴゥン。ドドドドドドド。

重低音が壁越しに聞こえてくる。

朝だけでなく、日によっては昼も、夜も。

 

 

わたしが繊細な人間でなくてよかったと思う。

「微妙な部屋だな」

と思うぐらいですんだから。

 

 

一応この部屋は他の部屋よりちょっとだけ広くて、寮母さんからは「ぽっかさんは今年は広めの部屋よ〜」なんて言われていた。2年目になって、寮運営を手伝う仕事なんてものを任されるようになったから、その特典らしかった。

部屋発表のときは、純粋に喜んだ。

だが住んでみて、ありがたみは一切感じなかった。

寮運営の特典がこんな部屋なんて、とんだ災難である。

 

 

 

それはそうと、洗濯室とは反対の隣部屋、これもわたしの部屋と同じ間取りだった。

つまりほんの少しだけ、他の部屋より広いらしかった。

そこも自治会メンバーにあてがわれていて、わたしはその住人と仲良くするようになった。

 

 

彼女はファッション系の学校に通っていて、いつもオシャレだった。アシンメトリーだったり、よくわからない布がぶらさがっていたり、てろてろした素材だったり。

いわゆる、「モード」と言われるようなスタイルだったと思う。

青い髪を間近で見たのは、その人がはじめてだった。

幅広のメッシュが、黒髪にパキッと映えてめちゃくちゃかっこよかった。

 

 

ある日、「あんたの方が似合う」と言って渡された服が、フェミニンでフリフリでびっくりしたことがあった。アイボリー生地に、光沢のある糸で刺繍が施されたミニスカ。それを着た彼女が全然想像できなかったから、何がどうなって買うことになったのか不審に思った。宗旨替え?出し物?

「これどうしたの?」と聞くと、「学校で売ってて、つい」なんて言って笑った。

「め、珍しいね」

「まあ」

彼女は、さっそく着てみろと言う。

自分が似合うとも思わなかったけど、おそるおそる履いてみせた。彼女は、

「うん、やっぱ似合うな」

と、ニヤリとして、

「それ、あげるわ」

と、ぽんっと譲ってくれた。

もしかしたら、ふと可愛らしい格好もしたくなったのかもしれない。あるいは、単に可愛いものに目を惹かれたのかもしれない。だけど、その気前の良さというか、似合う人にさっさと譲ってしまう思い切りの良さがいいなと思った。

 

実際、見立ては確かだった。大学に履いていったらものすごく評判がよくて、短いスカートもありだなと思うようになった。うちの大学は芋みたいな学生が多かったので、わたしみたいな人間でもおしゃれ扱いをされた。学生のファッションブックなんてものにも載せてもらったり。

 

だけど田舎から出てきたわたしが垢抜けたのは、ひとえに彼女はじめ寮生のおかげだとおもう。 本当におしゃれな人というのは、自分だけではなく、他人のこともプロデュースできる彼女みたいな人のことを言うんだ。そういう人が寮には何人かいて、4年間でたくさんの刺激を受けた。

(ちなみに寮を出てからわずか数ヶ月、京都で再会した寮生に、「ぽっかがダサくなった」と大騒ぎされたのはまた別の話)

 

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どう、似合う?

 

 

 

そんなこんなで彼女とよく話すようになって、彼女が夜、図書室に行っていることを知った。

「図書室いいで。静かだし広いし。わたしパターンひきたいから、部屋の机だと話にならんのよね」

「へえ〜、他に人いないの?」

「たまに先輩おるけど、ぽっかも勉強しにきたら」

そこで私は図書室に行くようになった。図書室といっても、学校の図書室みたいに立派なものではない。大きめの角テーブルが2つ置いてあるだけである。

それでも、自分の部屋よりははるかに快適だった。それに、彼女がパターンをひいている姿を見るのが興味深かった。

 

 

 

パターンというのは、服を作るための設計図、つまり、型紙のことである。

どんなによいデザイナーの服も、ちゃんとそれを形にするパタンナーがいないと、出来上がらない。ファッションにとっては大事なものである。

彼女は図書室に行くと、テーブルにそのパターンと呼ばれる紙をめいっぱいひろげて、ぶつぶつ真剣に作業をしていた。

 

 

とにかく、かっこいい。

何をやっているのかは、さっぱりわからなかったけど。

何かに向き合う人の横顔ってすてきだ。

 

 

わたしは別のテーブルで、ひとりぶんのスペースに小さく本を広げて、時々観察させてもらった。図書室は冷房もきくし、面白そうな本も置いてあるし、時々おしゃべりもできるし、天国みたいなところだった。

たまに先輩がきて、勉強していった。

だけど、あっというまに、わたしたちの居場所になっていった。

しばらくして、同じ学年の他の子達もくるようになって、ますます楽しい場所になった。

 

 

 

そのうち、他の寮生からクレームが入るようになった。

 

「あの学年が、夜中まで図書室を占領している。たまにうるさい」

 

 

そりゃそうだ。

図書室の近くに部屋がある寮生からしたら、わたしにとっての洗濯室みたいなものだ。迷惑きわまりないに違いない。だけど仲間ができて、謎に無敵感を得ていたわたしたちは、調子に乗って入り浸っていた。

たまに先輩がドアを開けて、わたしたちが占領をしているのを確認すると顔をしかめて出て行ったりもした。

わたしたちもわたしたちで、先に先輩がいると、「あ、今日はおしゃべりできないな……」と残念に思ったりした。

静かなる戦争の勃発である。どっちの領土になるか、せめぎ合いが続いた。

 

 

その結果。

しばらくして、図書室は深夜以降、使用禁止になった。

私語禁止の張り紙もされた。

月に一度のミーティングで、直接怒られた。

 

 

彼女は、一連の流れに対して、「は?まじ迷惑なんだけど。部屋じゃ課題できないんだけど」と腹を立てていた。

だけど、彼女が腹をたてるべきはどちらかというとわたしだったと思う。

のこのこついていって、彼女のワークスペースを奪ってしまったようなものだ。

 

 

彼女はルールを無視して、深夜をまわってもひとりで図書室にこもった。

わたしはちゃんと12時になったら部屋に帰るようになったが、それでも図書室に入り浸った。

やっぱりたまに先輩が来て、ひとつのテーブルをまるまる占領している彼女をみて眉根を寄せたりしていたが、わたしはその様子をみて「ふんっ」と思った。ここでしかできないんだから、許してあげてほしい。

 

 

 

図書室戦争、結局勝ったのはだれだったのか。

寮長さんや寮母さんは、そんな戦争があったことすら知らなかったに違いない。

彼女は次の年つばめ寮を出て行ってしまった。つくえがひとつ分あいて、使いたい人が自由に使えるような環境になった。

だけど、彼女がいなくなった後も、開室時間と私語厳禁のルールは維持された。

 

 

わたしたちはその後も図書室に通い続け、そのルールを守ったりやぶったりした。集中していてつい深夜を回ってしまうと、ここで黙々と作業していた彼女を思い出したりした。

きっとますますオシャレな女性になって、活躍しているに違いない。

 

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黙々と作業する

 

SPECの再放送が決まって楽しみだけど

SPECの再放送が決まったことを、Twitterのトレンドを見て知った。

詳細をクリックして、衝撃。

本放送が2010年、つまり今から10年前。

SPECなんてつい最近のドラマのように思うのに、あれから10年も経ってたなんて。

 

 

画像を見てると、さらに懐かしくなる。

本当はグロいものが苦手なのに、頑張って見てたのは、加瀬亮さんと戸田恵梨香さんのペアが大好きだったから。好きな俳優さんが出てると、無理してでも見てしまう。

 

 

また見られるなんて、

「高まるぅ〜〜」

 

 

グロいシーンは本当に苦手なんだけど、異形のものが暴れ出すとか、あまつさえ血飛沫が飛ぶとか、心臓が縮み上がるんだけど、その当時は一緒に見てくれる人がいたから耐えられた。

実際、ドラマ自体も面白かった。

だけどなにより、誰かとドラマを見る時間というのを楽しんでたんだと思う。

一緒にハラハラして、一緒に感動して。そういうの、醍醐味だよね。

 

 

SPECという文字を見て、そんなすてきな時間——ある寮生の部屋ですごした時間が蘇った。

 

 

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東京のとある町、住宅街の中にたたずむ、3階建。

ハタチ前後の女の子が、共同生活をいとなむ。

そこがわたしたちの家だった。

 

 

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当時、わたしたちは大学の最終学年を迎えていた。

気楽な学生でいられるのもあと少し、つばめ寮を追い出されるまでのタイムリミットも確実に近づいていた。

そうなると、寮生活が惜しくなる。寮生と暮らせるのもあと少しだと思うとさみしくて、大学が終わったらまっすぐ帰るようになっていた。

 

最初はあんなに嫌だったのに、人は変わるものである。

 

 

そう、面白い変化があった。

最終学年になって、なぜか寮生が続々と彼氏と別れはじめたのだ。

そうなると、必然的に休日が暇になる。

用事がないから、寮にいる。

寮生同士でつるむ。

むしろその方がずっと楽しかったりする。

仲が深まる。

 

 

もしかして、因果関係は逆だったのかもしれない。

つまり、寮生と過ごす時間の方が楽しくて、恋愛関係を持続する努力をしなくなったんじゃないだろうか。もちろん積極的にそれが目的で別れた人はいないだろう。だけど、寮生とのおしゃべりがもりあがって、彼氏に連絡をとるのが後回しになることはあっただろう。彼氏の家にいくよりも、寮にいる方が楽しいと気付いてしまった人もいるかもしれない。

そんな体たらくじゃ、フラれてもしかたない……かもしれない。

 

 

……なんて。

夜遊びすることもなく、夕飯の時間には揃ってしまう面々を見ていると、そんなふうにうがった見方をしてしまう。

かくいう私も、少なくとも卒業するまでは彼氏は要らないなあと思っていた。

残りの時間は、寮生にささげたい。 

恋人?面倒面倒。 

 

 

SPECが放送されたのは、そんなふうに寮生活が楽しくて仕方がない時期だった。

わたしは部屋にテレビがなかったので、寮にいる4年間はほとんどテレビというものを見ていなかった。食堂には大きなテレビが置かれていたけど、先輩がいる頃はチャンネル権がなかったし、先輩になる頃には、テレビへの興味を失っていた。

 

だけど、加瀬亮戸田恵梨香が出ることを知ってしまった。

特に、加瀬亮さん。

本人はきっと喜ばないが、顔がとっても好みだ。昔「ありふれた愛」というドラマで見て以来、どハマりしてしまった。重たい前髪からのぞく自信のなさそうな目、色白の肌、意外と骨ばった体。横顔がとてつもなく綺麗で。たまに目がキラキラ〜っと輝くときは、本当にグッとくる。

 

 

「見るしかない」

と思った。

ストーリーはよく知らなかったけど。

 

 

しかし、食堂は21時には閉まるし、見る方法がない。

うーん、あきらめるしかないかな。

予告見る限り、ちょっと怖そうだしな。

そう思っていたら、ある寮生が誘ってくれた。

 

 

「わたしの部屋テレビあるけど、見る?どうせわたしも見るしいいよ〜。散らかってるけど」

 

 

優しい!!

実際、本当に散らかってたけど(失礼)、ありがたくお邪魔させてもらうことになった。毎週毎週、あきもせず。

一緒に食堂で夕ごはんを食べ、「じゃあ何分後にお風呂で」と約束して、風呂場でまた落ち合い、湯船に浸かっておしゃべりをする。「じゃあ髪乾かしたらそっち行くね」と約束して、しばらくして彼女の部屋にのこのこ出向く。約束したのにだいたい彼女は髪の毛が濡れたままで、ドラマが始まってからドライヤーを使い始める。

「うるさいよ」

って文句をいうと、CMの間に乾かしてくれる。

人の部屋なのになんとも図々しいものである。

ベッドにはコリラックマのぬいぐるみが転がっていて、怖いときはそれを抱きしめさせてもらった。あれがないと困る。主人公の当麻さん、けっこう激しいんだもん。毎回貸してもらっていたら、最終的には、部屋に行った瞬間に「ほいよ」と渡してくれるようになった。やっぱり、優しい。

 

ドラマが終わると、勉強の時間である。4年生なのでそれなりに忙しい。「図書室で」と約束して、勉強道具を取りに帰る。図書室でまた落ち合って、深夜まで一緒に勉強する。

彼女は就職するまでにとりたい資格があるとかで、毎晩カリカリと勉強していた。

 

 

書いてみて思う、なんだこれ、恋人か。家族でもこんなに長いこと一緒にいない。

よくもまあ、飽きもせず嫌にもならず、一緒にいてくれたものだ。

マイペースなわたしにイライラしたこともあっただろうが、なんだかんだ辛抱強く付き合ってくれて、ありがたいことこの上ない。

 

 

SPECの映画版も彼女と一緒に見に行ったが、こちらはグロさがパワーアップしていた。伊藤淳史さん演じる男性の手が……今思い出しても肝が冷える。

映画館では当然コリラックマがないので、彼女の腕にしがみついて、「終わったら言って!わたしが見られるようになったら教えて!!」とお願いした。

見られるようになったら、

「見てない間、なにがあった?」

なんて聞いたりして。

迷惑だったに違いない。 

 

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SPECの再放送、楽しみ。

楽しみだけど、今度は彼女もコリラックマもいないのがさみしい。

 

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うるさいよ

 

 

イケメン先輩とウブな世間知らずの日曜日

東京のとある町、住宅街の中にたたずむ、3階建。

ハタチ前後の女の子が、共同生活をいとなむ。

そこがわたしたちの家だった。

 

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つばめ寮に入寮してしばらくたったある日のことである。

 

 

わたしはいつもの日曜日を迎えていた。

この日は週に一度だけ、食堂が閉まる日。朝ごはんの時間を気にせずに、9時過ぎまでゆうゆうと寝ていられる日。

窓から入る日の光がだんだんまぶしくなってくる。

やっぱり、北枕でもいいから、枕の向きを逆にするべきかなと思う。

 

 

早起きな寮生はとっくに活動を始めていて、どこからか物音がする。

中庭で、誰かが洗濯物をほしているらしい。

「おはようー」

「あ、おはよう」

挨拶を交わす声が聞こえてくる。

 

 

すでにバイトに出た人もいるというのに、わたしはいつもの通りぐうたらしていた。目が覚めても、ふとんにもぐったまま、天井の柄を観察したり。

このけだるい時間がなんとも幸せだ。

ドアの外では、誰かが廊下を歩いていて、すでに1日が始まっているのを感じる。

ごくろうさまなことだ。

うーん、このままずっと部屋に閉じこもっていたい。

 

 

だがそうもいかない。

なんせ今日は食堂に行ってもごはんにありつけないのだ。空腹で動けなくなる前に、適当におなかを満たさなくてはいけない。

だけどもう少し寝ていたい!

 

 

一人暮らし1年目、実家で多少手伝いをしていたとはいえ、料理はからっきしだった。

しかも料理をする機会は週に一度。野菜を買っても腐らせてしまうし、自炊する気なんてさらさら起きない。

1合炊きのタッパーで米を炊いて、それにふりかけをかけるか、納豆をあわせるか。おかずが欲しかったら、もずくか豆腐。これが日曜日の定番メニューだった。ちなみに、おやつももずくか豆腐である。賞味期限が切れるまでに食べちゃわないといけないから。

 

 

我ながらひどい。

寮生でも、毎日自分でお弁当を作ってる人もいたから、腐らせるっていうのは言い訳にならない。本当なら。

 

 

そんなテンションの上がらない朝ごはんの算段をしながら、なんとかふとんから抜け出た。

洗面所に行くと、デートにでも出かけるのか、ちゃんと小綺麗にした先輩が歯を磨きおわるところだった。

「おはようございます」

先輩はちらっとこちらに視線を向けると、にこりとすることもなく、いなくなってしまった。まるでわたしに興味なんてないかのように、いや、実際まったくないのだろう。

 

 

まだ上京してから日が浅く、日曜日に出かける友達もいなかった。

朝ごはんを食べてしまったら本格的に暇になる。

 

ひまだなあ。

買い物にでも行こうかなあ。

勉強でもするかなあ。

 

事件は、そんなふうに暇をもてあましていた、午後に起こった。

 

 

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ドンドン

 

ドアを大きくノックする音がした。

 

「おい、ぽっか、いる?」

 

ドンドンドン

 

 

ちなみに、このとき居留守は使えない。なぜなら、寮生は外出するときに必ず外出ランプを点灯するから。

 

 

「はーい、いますぅ」

ドアを開けると、先輩が立っていた。

 

「おはよう。お、もう着替えてんじゃん。これからどっか出かけんの?」

「いやー、どうしようかなあって思ってるところでした」

「やっぱそうか、おまえバイトしてないって言ってたもんな。今日することないの?」

「うーん、買い物か勉強か、それくらいです」

「勉強!まじめかよ」先輩はひゃひゃひゃっと笑うと、「それならちょっとうちの部屋こないか?」と聞いてきた。

 

 

わたしは暇をもてあそぶという、自分としては有意義な休日をすごしていたので、そのままひきこもっていたかった。だが、先輩の誘いなら断るわけにもいかないだろう。

「じゃあちょっと片付けてから行きます」

と答えた。

 

 

 

ちなみにどうでもいいことだが、この先輩、イケメンである。

 

背は高くないが、筋肉質で、スポーツのできそうな体をしている。茶髪パーマがちょっと浮ついた雰囲気を醸し出しているが、本人によく似合っていた。

年上にも年下にも、気安く声をかけるタイプで、スキンシップも多め。廊下でも、先輩が他の人に触っているのをよくみた。

 

ただし、れっきとした女である。

 

(最初入寮した時は、なぜ女子寮に男がいるのかとびっくりしたものだ。すぐに誤解は解けたけど)

 

 

 

わたしは自分の服装を見た。紺色の、ミニのワンピース。着替えようかなあと思って、それは失礼だと思い直す。すでに姿を見られているし、今から着替えたのでは、警戒しているみたいだ。密室で二人きりだからといって、そんな意識することない。

先輩は言っていた。

自分の恋愛対象は、年上だ、と。

わたしは年下だから、下心なんてないに決まっている。

 

 

どうしようかなあ、不安だなあ。

それでもちょっと迷ってしまった。いや、本音を言うと、だいぶ。

 

 

 

そう、その先輩は、つい先日、自分の性的指向をカミングアウトしてくれた。

出会ってまだ数ヶ月なのに、信頼してくれたのかな、とそのときは嬉しく思った。

しかし、密室でふたりきり♡となると、話は別である。

もしかしてわたし気に入られてる!?

守備範囲ひろがった!?

と警戒してしまっても、仕方ないではないか。

 

 

ひとしきり悩んで、結局そのままの格好で行くことにした。ただしいざというときのために、携帯を片手に。

 

 

コンコン

「ぽっかです」

ドキドキしながらドアをノックすると、「お、入れ」と返事が来た。

「お邪魔しま〜す」

 

 

一歩踏み入れると、同じ間取りのはずなのに、なんだか狭く感じた。

まず物が多い。本棚も本で埋められている。食器も揃っている。壁には紫色の、なにやらおしゃれな布が垂れ下がっていた。

そして、甘くてスモーキーな匂いが充満していた。

 

 

……も、もしかして、あやしいクスリ!?

 

 

嫌な予感が頭をかすめて、心臓がドキドキ言い始めた。どうしよう、やっぱり東京は怖いところかもしれない!人を信用しちゃいけなかったかもしれない!後悔がおそってくる。

勧められてベッドに腰掛けると、先輩も隣に腰掛けてきた。

いつもなら気にならない距離なのに、やけに近くに感じて、またドキドキが大きくなる。

 

 

「どう、東京には慣れた?」

「大学ではなに勉強してんの?」

 

 

会話の内容はあまり覚えていないが、ありきたりの、先輩と後輩の会話だったと思う。親切にいろいろ聞いてくれていたはずだ。

だが、充満する匂いとシュチュエーションで、わたしの頭はいっぱいいっぱいだった。

と、そのとき、先輩がわたしの太ももに手をのせた。

とっさに払うこともできず、わたしは固まった。

 

 

太ももに手。

今まで、異性にすら触られたことのない、領域!!!

 

 

話の内容が一切入らなくなってしまい、わたしの頭は混乱を極めた。

どうしようどうしようどうしよう……

どうしようどうしようどうしよう……

はっとひらめいて、メールを確認するふりをして、別の寮生にメールを送った。

【理由は聞かないで。今すぐ、わたしに電話して】

祈るように電話を待っていると、やっと着信音が鳴り響いた。飛びついた。

 

「あ、タマキちゃん?どうしたの?え、今から?今先輩の部屋にいるんだけど……わかった、じゃあそっち行くね!すぐ行くからちょっと待ってて!」

わたしは怒涛のように言いきった。相手は最初何か言っていたが、とりあえずまるっと無視した。

 

 

電話を切ると、先輩の方を見て言った。

「すいません先輩、ちょっとタマキちゃんが今すぐ部屋に来てほしいって言ってて。申し訳ないんですが、失礼してもいいですか?」

先輩は虚をつかれたような顔をしたが、朗らかに笑って、部屋から出してくれた。

 

 

タマキちゃんの部屋に向かう間、心臓がまだドクドク言っていて、わたしは大きく息をついた。過剰反応だったかなという不安感と、部屋を出られた安心感がないまぜになって、気分がやたらと高揚していた。

 

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今思うと、あれは本当に、過剰反応だった。

だって、完全に、先輩は親切心から誘ってくれたんだもの。

部屋に充満していた怪しげな匂いは、先輩が愛用していたお香だったということもあとから判明した。わりと寮内の広範囲に漂うから、ほかの寮生から苦情もあったみたいだけども。

ひとりで妄想を膨らませて、バカみたいだった。

恥ずかしいから、タマキちゃんにもくわしい事情は話せなかった。

 

 

自分では性的マイノリティに対する偏見はないと思っていたが、カミングアウトしてもらったことで、もしかしたらどこかで警戒してしまっていたのかもしれない。

とっても恥ずかしい思い出。

でももう一度言いたい。

わたしはまだ、恐ろしいほどウブで世間知らずだったのだ。男女のあれこれに対する知識もなく、「太ももに手」という状況だけで、頭が真っ白になるタイプの人間。そういう不慣れな人間は、不用意に触ってはいけないのだ。勘違いするから。

 

 

これは、男女問わず!!!

 

 

後日談。

実は、その先輩とはいまだに仲良くしてもらっていて、なんだかんだもう10年以上の付き合いになる。こんなふうに思ったことがあるなんて、秘密だけど。ふふ。

 

 

 

18歳の日曜日の話でした。 

 

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女子寮の恋愛事情

東京のとある町、住宅街の中にたたずむ、3階建。

ハタチ前後の女の子が、共同生活をいとなむ。

そこがわたしたちの家だった

 

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前回、トイレ事情について書いたので、今日は恋愛事情について書こうと思う。

 

pocca-poca.hatenablog.com

 

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大学生にもなれば、彼氏のひとりやふたりもできる。

わたしたちつばめ寮の寮生も、それぞれに面白い恋愛ストーリーを持っていた。

 

 

寮生活をしていて困ることのひとつは、寮に彼氏をよぶことができないことだ。(もちろん全くこまらない人間もいるが、それはいいとする)

外部の人は、お泊まりはおろか、中に足を踏み入れることすらできない。

そもそも同性の友達すら中に入ることを許されておらず、外部の人を見る機会といえば、引っ越しの時に親が手伝うときくらいだった。

 

 

では、どうするか。

彼氏の家に泊まるしかない。

だけど、それにも「外泊届」と呼ばれるものが必要だった。

 

 

これがまた面倒なのだ。

日付、泊まる相手の名前と住所、電話番号、理由をあらかじめ紙に書いて、寮長に提出しなければならない。寮長というのは60代の男性で、自分のことを東京の父親と思えとのたまう、厳格な人だった。だから、彼氏の名前を馬鹿正直に書くバカはほとんどいなかった。かといって嘘の電話番号を書いたら、ふつうにかかってくるんじゃないかとヒヤヒヤものだった。

気になってる人に誘われたからといって、ついていくこともできない。

飲み会がもりあがってそのままカラオケオール、なんてことも許されない。

泊まるなら、事前に、計画的に。

 

 

しかも、外泊届を出せる回数も決まっていた。

月に4回。週に1回。

これが多いのか少ないのか分からないけど、困っている寮生も少なからずいた。

 

 

そういう子は悪知恵を働かせる。

1回の外泊届けで一週間ほど帰ってこないのだ。

 

 

ある日、しばらく見ないなあと思っていた子が、寮長にガミガミ怒られているのを見かけた。一週間ぶりに洋服を取りに帰ってきたタイミングだったらしい。もともとかわいい子だったが、東京暮らしになじむにつれ、どんどんおしゃれになっていた子だった。なかなか垢抜けないわたしは、モデルさんみたいだなあ、なんて思っていた。

 

そんな子が、ふてくされた顔で寮長に怒られている。

「一週間も帰ってこないとはどういうことだ!」

「別にルール破ってないです。ちゃんと外泊届出したじゃないですか」

「こんなのは、寮に住んでることにならん!大事な娘さんを預かっている身として、親御さんに申し訳が立たん!」

 

 

玄関で言い合いをしているので、ひじょうに目立つ。わたしからしたら、月4回の外泊届も多すぎるくらいなので、許されることなら自分の分を分けてあげたい気分だった。

 

それにしても、よく考えつくなあ。

どんな制度やルールにも抜け道ってあるもんだな。

 

覗き見しながら、妙に感心してしまった。

 

しばらくしてその子はつばめ寮から去ってしまったが、きっとお互いのためによかったと思う。寮長も心配で倒れそうだったもの。

そうそう、馬鹿正直に彼氏の名前を書く子がひとりだけいた。その子もよく寮長とぶつかっていたが、しばらくしたら出て行った。ただ彼女は怒られても大して気にしておらず、大学まで遠いしそろそろ出るわ〜なんて言いながら、さっぱりと退寮した。もちろん彼氏の存在もあったかもしれないが、退寮する子はたいてい、大学までの距離、バイト、寮での人間関係のわずらわしさが理由だったと思う。

 

 

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さて、では寮に残るタイプの子はどうなるかというと。

 

 

お互いの彼氏の顔を覚える。

 

 

なぜなら、遭遇してしまうから。大学生にもなると男の子もジェントルマンになるのかしらないけど、夜も遅くにわざわざ寮生を送ってくれるのだ。

 

駅からそこそこ距離あるけどね。

あ、もしかして、できるだけ長い時間一緒に居たかったとかそういう感じかな!?

 

駅から寮まで歩いていると、暗闇でカップルが手をつないでいるところにときどき行き当たってしまう。迂回しようにもできないので、そうっとついていくか、抜かすしかない。

あまりにも盛り上がっているようだと、落ち着くまでしばらく待つ。

 

特に先輩だと気まずいんだなあ。

「〇〇さん、さっき彼氏さんといましたよね、見ちゃいましたフフ」なんて言える子がうらやましかった。

 

 

そのうち勝手がわかってきて、足音をわざと立てれば、ふつうに横を通れることがわかるんだけど、最初のうちは困ったものだ。そもそも夜なので、不意打ちで驚かされることがある。建物の間の暗闇に立ってたりすると、それだけで心臓に悪い。

 

 

 

 だけど、本当に気をつけないといけないのは監視カメラ。

 

 

死角を知らないと、寮長室から丸見えなのである。この事実はだいぶあとになって知った。

新しくきた寮長は、恋愛にもとっても寛容で、門限間近になると監視カメラを観察していたとかいなかったとか。

「おまえ、キッスしとったやないか」

と翌朝からかってくるのである。

 

寮生どころか、寮長にもバレる。

 

 

 厳格だった東京の父も、見てたんだろうか。今になって、ちょっと気になる。

 

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女子寮のトイレ事情

学生時代、わたしは女子寮に住んでいた。

 

東京のとある町、住宅街の中にたたずむ、3階建。

そこがわたしたちの家

 

そこでは同郷の女の子が50人ほどで、共同生活をいとなむ。同郷だから方言まるだしで、東京に住んでいるはずなのに、方言がまったく抜けない。地元に帰るたびに、「あれ?東京に住んでるんだよね?」と疑われるほど。むしろ、わたしは4年間の寮生活でますます方言が達者になったと思う。微妙に地域差のある方言を、どれもマスターして、同じ機能をもった語尾を数種類使えた。

(だから大学に行っても訛り続けていた)

 

最終的には4年間いすわったわけだけど、共同生活っていうのは楽じゃない。

それはもう、大変なことが色々いろいろあった。

せっかくブログを始めたので、麗しき乙女の園「つばめ寮」(※仮名)について書こうと思う。

 

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寮生活でまず最初につまづいたのは、朝、用を足す時だ。

わたしは朝起きたら、何があってもまずトイレに行く。それから顔を洗う。

そうしないと目が覚めない。

 

だが、わたしたちのつばめ寮は、トイレも洗面所も共同だったのだ。

 

必然的に、寝起きでねぼけまなこのまま、廊下をうろうろ歩き、トイレまで行かなくてはいけない。もちろんパジャマ。髪もといていない。そして、このときは超絶テンションが低い。

それなのに、朝はまだ大半の寮生が出かけていないので、高い確率で人に会う。

そうすると、あいさつをしなくてはいけない。

 

そう、わりとルールが厳格に定められた寮だったので、あいさつをすることもまたルールになっていた。

 

「おはようございます」

「おはようございます」

 

すれ違うときは、パジャマだろうと寝起きだろうと、あいさつを交わす。

それだけのことだが、よく知りもしない他人に朝っぱらから愛想よくすることが苦痛だった。そもそも声を出すことすら、億劫なのに。

相手がもうきちんとメイクも済ませて、外出準備ばっちり!みたいな状態だと、なお辛かった。

 

田舎からいきなり都会に出てきたストレスもあるなか、家の中ですら他人がウロウロしているような感覚で、とにかくプライベートな空間が少なすぎると感じていたんだと思う。

 

ドアを開けてみて、誰かが歩いているのが見えたら、その人が自分の部屋に入るのをしばらく待ったりもしていた。

カチャ。

ドアが閉まる音を確認してからようやく、部屋を出た。

 

 

まったく気にしていない寮生も多かっただろう。

だがわたしにとっては、寮で暮らし始めて1ヶ月は、とにかくトイレまでの道が苦痛だった。

 

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しょっぱなからトイレの話で申し訳ないが、トイレといえばもっと面白いエピソードがある。

 

もうすっかり寮生活になれ、年下の子が増えてきた頃だったと思う。

事件が起きたのだ。

 

和式便所に、茶色い物体が。

 

 

しかも、単発の出来事ではない。

そのあと何回か、同じ和式便所で同じことが起こった。

そのたび、発見者が叫び、何ごとかと同じ階の住人がわらわらと集まる。

 

 

つばめ寮は自治寮だったので、当然掃除も自分たちでまわしていた。

発見者は「ぎゃーっ!」と叫べばすむが、その日に当たった掃除当番は気の毒だ。何が悲しくて、二十歳にもなって他人のそれを拭わねばならないのだ。
集まった寮生はみな口々に、自分で片付ければいいのに、せめて洋式ですればいいのに、と文句を言ったが、自分が片付けようとはしない。どうするんだこれと目配せをするばかりだ。

 

 

複数回続いたので、対策が練られた。

その対策というのはいたって単純。和式便所の壁、かがんだときに正面にくる場所にいかのような張り紙を貼ったのだ。

 

 

「大をするときは一歩前へ」

 

 

どストレートである。

やっつけみたいなその張り紙をみたときは、思わずふいてしまった。

その張り紙が功を奏したのかわからないが、それ以降、前のように堂々と鎮座しているのを発見されるという事件は途絶えたと思う。本人も、上手なやり方をマスターしたんだろうか。

 

 

それにしても、あれは結局誰だったんだろうか。

犯人はもちろん分からないままである。

もしかしたら、洋式を使ったことがなかったとか、たまたまいつも洋式が埋まっていたとか、なにかのっぴきならない事情があったのかもしれない。この事件で本人が深い傷を負っていないといいけども。

 

 

最初見かけたときは衝撃的だったが、共同生活をしていると、自分が思っていた常識が通じないことが続々とおこる。

これもそんな数あるエピソードのひとつにすぎない。

 

 

まだまだあるつばめ寮でのエピソード、忘れないうちに書いておかなきゃ。

 

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