女子寮のトイレ事情
学生時代、わたしは女子寮に住んでいた。
東京のとある町、住宅街の中にたたずむ、3階建。
そこがわたしたちの家。
そこでは同郷の女の子が50人ほどで、共同生活をいとなむ。同郷だから方言まるだしで、東京に住んでいるはずなのに、方言がまったく抜けない。地元に帰るたびに、「あれ?東京に住んでるんだよね?」と疑われるほど。むしろ、わたしは4年間の寮生活でますます方言が達者になったと思う。微妙に地域差のある方言を、どれもマスターして、同じ機能をもった語尾を数種類使えた。
(だから大学に行っても訛り続けていた)
最終的には4年間いすわったわけだけど、共同生活っていうのは楽じゃない。
それはもう、大変なことが色々いろいろあった。
せっかくブログを始めたので、麗しき乙女の園「つばめ寮」(※仮名)について書こうと思う。
---------------------------------------------
寮生活でまず最初につまづいたのは、朝、用を足す時だ。
わたしは朝起きたら、何があってもまずトイレに行く。それから顔を洗う。
そうしないと目が覚めない。
だが、わたしたちのつばめ寮は、トイレも洗面所も共同だったのだ。
必然的に、寝起きでねぼけまなこのまま、廊下をうろうろ歩き、トイレまで行かなくてはいけない。もちろんパジャマ。髪もといていない。そして、このときは超絶テンションが低い。
それなのに、朝はまだ大半の寮生が出かけていないので、高い確率で人に会う。
そうすると、あいさつをしなくてはいけない。
そう、わりとルールが厳格に定められた寮だったので、あいさつをすることもまたルールになっていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
すれ違うときは、パジャマだろうと寝起きだろうと、あいさつを交わす。
それだけのことだが、よく知りもしない他人に朝っぱらから愛想よくすることが苦痛だった。そもそも声を出すことすら、億劫なのに。
相手がもうきちんとメイクも済ませて、外出準備ばっちり!みたいな状態だと、なお辛かった。
田舎からいきなり都会に出てきたストレスもあるなか、家の中ですら他人がウロウロしているような感覚で、とにかくプライベートな空間が少なすぎると感じていたんだと思う。
ドアを開けてみて、誰かが歩いているのが見えたら、その人が自分の部屋に入るのをしばらく待ったりもしていた。
カチャ。
ドアが閉まる音を確認してからようやく、部屋を出た。
まったく気にしていない寮生も多かっただろう。
だがわたしにとっては、寮で暮らし始めて1ヶ月は、とにかくトイレまでの道が苦痛だった。
---------------------------------------------
しょっぱなからトイレの話で申し訳ないが、トイレといえばもっと面白いエピソードがある。
もうすっかり寮生活になれ、年下の子が増えてきた頃だったと思う。
事件が起きたのだ。
和式便所に、茶色い物体が。
しかも、単発の出来事ではない。
そのあと何回か、同じ和式便所で同じことが起こった。
そのたび、発見者が叫び、何ごとかと同じ階の住人がわらわらと集まる。
つばめ寮は自治寮だったので、当然掃除も自分たちでまわしていた。
発見者は「ぎゃーっ!」と叫べばすむが、その日に当たった掃除当番は気の毒だ。何が悲しくて、二十歳にもなって他人のそれを拭わねばならないのだ。
集まった寮生はみな口々に、自分で片付ければいいのに、せめて洋式ですればいいのに、と文句を言ったが、自分が片付けようとはしない。どうするんだこれと目配せをするばかりだ。
複数回続いたので、対策が練られた。
その対策というのはいたって単純。和式便所の壁、かがんだときに正面にくる場所にいかのような張り紙を貼ったのだ。
「大をするときは一歩前へ」
どストレートである。
やっつけみたいなその張り紙をみたときは、思わずふいてしまった。
その張り紙が功を奏したのかわからないが、それ以降、前のように堂々と鎮座しているのを発見されるという事件は途絶えたと思う。本人も、上手なやり方をマスターしたんだろうか。
それにしても、あれは結局誰だったんだろうか。
犯人はもちろん分からないままである。
もしかしたら、洋式を使ったことがなかったとか、たまたまいつも洋式が埋まっていたとか、なにかのっぴきならない事情があったのかもしれない。この事件で本人が深い傷を負っていないといいけども。
最初見かけたときは衝撃的だったが、共同生活をしていると、自分が思っていた常識が通じないことが続々とおこる。
これもそんな数あるエピソードのひとつにすぎない。
まだまだあるつばめ寮でのエピソード、忘れないうちに書いておかなきゃ。