本当にオシャレな人と出会う
寮に暮らし始めて2年目、わたしの部屋は不快になった。
暗くなったし、じめじめするようになったし、うるさくなった。
もともとは南向きの部屋で、狭いながらも快適に暮らしていたのに。なんとつばめ寮は、1年ごとに部屋を交換するシステムだったのだ!
これがまた面倒で。
1階から3階にお引越しなんてことになると、物が多い人にとっては地獄である。
エレベーターなんてものはないから、ただひたすら手でかかえて運ぶことになる。
部屋を出るときには寮母さんのチェックが入り、掃除がすみずみまで行き届いているかどうか厳しく判定される。やり直しを求められることもしばしば。
(ひきだしにほこりが溜まってたら、ハイやり直し。)
(窓の桟が泥で汚れてたら、ハイ拭いてください。)
そうやってようやく新しい部屋に引っ越すわけだけど、2年目の部屋はひどかった。
1階の暗い廊下を歩いていって突き当たり、洗濯室とよばれる部屋の隣だったのだ。
洗濯室には4、5台の洗濯機が置いてあって、寮生が自由に使えるようになっていた。水は垂れ流し、部屋の真ん中に排水溝があって、すべての水がそこに流れ込むようになっていた。
そのせいかどうかはわからないが、いつでもじめじめと水の臭いがする気がした。
おまけに建物の構造上、日はほとんど差さなかった。
洗濯機を使ったことのある人ならわかると思うが、洗濯機というのは意外と暴れ回る。
どんどんどん、ゴゥンゴゥンゴゥン。ドドドドドドド。
重低音が壁越しに聞こえてくる。
朝だけでなく、日によっては昼も、夜も。
わたしが繊細な人間でなくてよかったと思う。
「微妙な部屋だな」
と思うぐらいですんだから。
一応この部屋は他の部屋よりちょっとだけ広くて、寮母さんからは「ぽっかさんは今年は広めの部屋よ〜」なんて言われていた。2年目になって、寮運営を手伝う仕事なんてものを任されるようになったから、その特典らしかった。
部屋発表のときは、純粋に喜んだ。
だが住んでみて、ありがたみは一切感じなかった。
寮運営の特典がこんな部屋なんて、とんだ災難である。
それはそうと、洗濯室とは反対の隣部屋、これもわたしの部屋と同じ間取りだった。
つまりほんの少しだけ、他の部屋より広いらしかった。
そこも自治会メンバーにあてがわれていて、わたしはその住人と仲良くするようになった。
彼女はファッション系の学校に通っていて、いつもオシャレだった。アシンメトリーだったり、よくわからない布がぶらさがっていたり、てろてろした素材だったり。
いわゆる、「モード」と言われるようなスタイルだったと思う。
青い髪を間近で見たのは、その人がはじめてだった。
幅広のメッシュが、黒髪にパキッと映えてめちゃくちゃかっこよかった。
ある日、「あんたの方が似合う」と言って渡された服が、フェミニンでフリフリでびっくりしたことがあった。アイボリー生地に、光沢のある糸で刺繍が施されたミニスカ。それを着た彼女が全然想像できなかったから、何がどうなって買うことになったのか不審に思った。宗旨替え?出し物?
「これどうしたの?」と聞くと、「学校で売ってて、つい」なんて言って笑った。
「め、珍しいね」
「まあ」
彼女は、さっそく着てみろと言う。
自分が似合うとも思わなかったけど、おそるおそる履いてみせた。彼女は、
「うん、やっぱ似合うな」
と、ニヤリとして、
「それ、あげるわ」
と、ぽんっと譲ってくれた。
もしかしたら、ふと可愛らしい格好もしたくなったのかもしれない。あるいは、単に可愛いものに目を惹かれたのかもしれない。だけど、その気前の良さというか、似合う人にさっさと譲ってしまう思い切りの良さがいいなと思った。
実際、見立ては確かだった。大学に履いていったらものすごく評判がよくて、短いスカートもありだなと思うようになった。うちの大学は芋みたいな学生が多かったので、わたしみたいな人間でもおしゃれ扱いをされた。学生のファッションブックなんてものにも載せてもらったり。
だけど田舎から出てきたわたしが垢抜けたのは、ひとえに彼女はじめ寮生のおかげだとおもう。 本当におしゃれな人というのは、自分だけではなく、他人のこともプロデュースできる彼女みたいな人のことを言うんだ。そういう人が寮には何人かいて、4年間でたくさんの刺激を受けた。
(ちなみに寮を出てからわずか数ヶ月、京都で再会した寮生に、「ぽっかがダサくなった」と大騒ぎされたのはまた別の話)
そんなこんなで彼女とよく話すようになって、彼女が夜、図書室に行っていることを知った。
「図書室いいで。静かだし広いし。わたしパターンひきたいから、部屋の机だと話にならんのよね」
「へえ〜、他に人いないの?」
「たまに先輩おるけど、ぽっかも勉強しにきたら」
そこで私は図書室に行くようになった。図書室といっても、学校の図書室みたいに立派なものではない。大きめの角テーブルが2つ置いてあるだけである。
それでも、自分の部屋よりははるかに快適だった。それに、彼女がパターンをひいている姿を見るのが興味深かった。
パターンというのは、服を作るための設計図、つまり、型紙のことである。
どんなによいデザイナーの服も、ちゃんとそれを形にするパタンナーがいないと、出来上がらない。ファッションにとっては大事なものである。
彼女は図書室に行くと、テーブルにそのパターンと呼ばれる紙をめいっぱいひろげて、ぶつぶつ真剣に作業をしていた。
とにかく、かっこいい。
何をやっているのかは、さっぱりわからなかったけど。
何かに向き合う人の横顔ってすてきだ。
わたしは別のテーブルで、ひとりぶんのスペースに小さく本を広げて、時々観察させてもらった。図書室は冷房もきくし、面白そうな本も置いてあるし、時々おしゃべりもできるし、天国みたいなところだった。
たまに先輩がきて、勉強していった。
だけど、あっというまに、わたしたちの居場所になっていった。
しばらくして、同じ学年の他の子達もくるようになって、ますます楽しい場所になった。
そのうち、他の寮生からクレームが入るようになった。
「あの学年が、夜中まで図書室を占領している。たまにうるさい」
そりゃそうだ。
図書室の近くに部屋がある寮生からしたら、わたしにとっての洗濯室みたいなものだ。迷惑きわまりないに違いない。だけど仲間ができて、謎に無敵感を得ていたわたしたちは、調子に乗って入り浸っていた。
たまに先輩がドアを開けて、わたしたちが占領をしているのを確認すると顔をしかめて出て行ったりもした。
わたしたちもわたしたちで、先に先輩がいると、「あ、今日はおしゃべりできないな……」と残念に思ったりした。
静かなる戦争の勃発である。どっちの領土になるか、せめぎ合いが続いた。
その結果。
しばらくして、図書室は深夜以降、使用禁止になった。
私語禁止の張り紙もされた。
月に一度のミーティングで、直接怒られた。
彼女は、一連の流れに対して、「は?まじ迷惑なんだけど。部屋じゃ課題できないんだけど」と腹を立てていた。
だけど、彼女が腹をたてるべきはどちらかというとわたしだったと思う。
のこのこついていって、彼女のワークスペースを奪ってしまったようなものだ。
彼女はルールを無視して、深夜をまわってもひとりで図書室にこもった。
わたしはちゃんと12時になったら部屋に帰るようになったが、それでも図書室に入り浸った。
やっぱりたまに先輩が来て、ひとつのテーブルをまるまる占領している彼女をみて眉根を寄せたりしていたが、わたしはその様子をみて「ふんっ」と思った。ここでしかできないんだから、許してあげてほしい。
図書室戦争、結局勝ったのはだれだったのか。
寮長さんや寮母さんは、そんな戦争があったことすら知らなかったに違いない。
彼女は次の年つばめ寮を出て行ってしまった。つくえがひとつ分あいて、使いたい人が自由に使えるような環境になった。
だけど、彼女がいなくなった後も、開室時間と私語厳禁のルールは維持された。
わたしたちはその後も図書室に通い続け、そのルールを守ったりやぶったりした。集中していてつい深夜を回ってしまうと、ここで黙々と作業していた彼女を思い出したりした。
きっとますますオシャレな女性になって、活躍しているに違いない。