続・ほのぼの日記

いらっしゃいませ!ほのぼのしてもらえるようなエピソード、あり〼

MISIAと奈良の大仏

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大仏の前で歌うMISIA(「音楽の日」)

 

気がついたらテレビの前で涙を流していた。

歌手のMISIAさんが、奈良の大仏を背に熱唱する姿は、神々しいという言葉では足りないくらい圧倒的だった。

 

 

MISIAさんが歌ったのは、「逢いたくていま」「さよならも言わないままで」「明日へ」の3曲。どれもフルで歌ったが、あっという間の時間だった。

今回のテーマは「祈り」だという。

世界中の人々が、隔離されて家族にも会えないまま、あるいは適切な医療が受けられないまま亡くなっていくこの状況。日に日に増えていく犠牲者。どうか、この状況が一刻もはやく収まりますように。そんな深い祈りが込められたセットリストだった。

 

 

そもそも奈良の大仏は、聖武天皇が疫病や飢饉、災害などに見舞われる時代にあって、祈りを捧げるために建立させたもの。

MISIAさんが歌う場所としては、この上ない場所。

やっぱり、その場限りのセットとは重みが違う。

 

 

大仏殿がライトアップされると、陰影がくっきりして、組まれた木材の一本一本が目立つ。屋根や柱の部分に幾重にも装飾が施されているように見える。立派な木材が使われているのだろう、扉部分の木肌も美しい。

その中央に、緑の衣をまとい、空まで届けとばかりに歌いあげるMISIAさん。仏教チックなオレンジの刺繍が映える。

バックには、うっすらとほほえむ盧舎那仏さま。

絵面の力強さに、思わずため息が出てしまう。

いや、かっこよすぎでしょ。

 

 

奇しくも今日は、京アニの放火事件から1年。

そして、俳優の三浦春馬さんが突然亡くなった日。

本来は新型コロナウイルスの犠牲者に捧げられたライブだが、どうしても他の出来事も思い浮かべてしまう。

 

 

一曲目の「逢いたくていま」。悲鳴にも似た歌声に、しょっぱなから泣かされる。

「ねえ逢いたい」

「逢いたい」

逢いたいというシンプルな言葉の繰り返しに、すべての思いが込められているように感じる。逢えさえすれば。逢えさえすればいろんなことができるのに。2番の「運命を変えられなくても伝えたいことがある」という歌詞も切ない。おなじ結末を迎えるなら、せめてその結末を迎えることを先に知っていたかった。もう2度と会えないと知っていたら、ありがとうとさよならをちゃんと言うのに。

2009年に発売された曲らしいけど、このために作られたのか?というしっくりきた(ちなみに新型コロナの影響で作られたのは、2曲めの「さよならも言わないままで」。こちらもとてもよかった)

なんども聴いたはずの歌なのに、思い描くできごとが変わると、味わいも変わる。

 

 

死ぬべきでない人たちが、志半ばで命を絶たれるのは本当に辛い。特に、三浦春馬さんは同い年ということもあって、ファンでもないのになんだか打ちのめされた。仕事も順調そうで、そりゃ悩みのひとつふたつはあるだろうが、夢に向かって生きていると思っていた。あんなに光の中を歩いているように見えるひとでも、はかり知れない苦しみがあったのだろう。それはもう、生きていられなくなるほどに。

 

 

どうしてその決断をしたのか、知りたい気持ちもある。同じ過ちを繰り返さないように、原因は追及されねばならない。

でも一方で、納得できる理由をさがして納得するのは、なんだか違う気もしている。

そんな簡単に分かってたまるか。人がひとり亡くなるというのは、よっぽどのことなんだから。

 

 

三浦春馬さんにせよ、京アニの方々にせよ、新型コロナに倒れた人々にせよ、たくさんの人が悲しんでいる。

MISIAさんの歌を聴いていたら、これ以上悲しい別れが増えないませんようにと、自然と祈りを捧げていた。

テレビの画面越しに、大仏様を拝ませてもらっているように感じた。

 

 

 

(そして気がついたら、ひっっさしぶりに絵筆を取ってしまった。 

あんまり上手にかけなくて悲しいけど、

MISIAさんの手と大仏様の手が同じ形をしていて、

MISIAさんが人々を救済する神のように見えたのを描きたかった)