女がみそじになるとは
楽しみにしていた、クチナシの花が咲いた。
いい香り。ぐんぐん夏に向かっていく。
使い古されてボロボロになった言葉だけどそれでも使いたい。
光陰、ほんとに矢の如し。
知ってますか。
恐ろしいけど、女は誰でも自分がシンデレラや白雪姫だと思って童話を読む。
だけど実は、継母も同じ女の未来なの。気づいた時にはそっち側。
わたしも気づけば来月でみそじ。
昔なら、そろそろ継母サイドへ移行するころ。
目次
ということで、今日は「みそじになる」をテーマに、書いてみたい。(はじめて目次機能というものを使ってみる)
0. 自分をみつめる
ハタチ前後の男の子と話していて、かわいいと思った。
蚊に刺されが、なかなか消えなくなった。
集中できる時間が、前よりも短くなった。
まわりからの視線が、気にならなくなった。
人が歳をとったことに気づく瞬間って、どんなときだろうか。
平成生まれのわたしも、もうすぐ30歳。
容赦なくめくられるカレンダーに、恐れおののく気持ちもある(わお、このままじゃあっという間に死ぬぞ)。だからこそ、みそじになるってどういうことなのか、ここ数年、自分のこころとからだを見つめてきたつもりだ。
去年の今と今年の今、感じ方に違いはないだろうか。
眠る前の自分と起きた後の自分、そこに断絶はないだろうか。
ちっちゃな変化を察知したくて、ここ数年で、詩も書きためている。どこにも発表する気は無い詩集のタイトル、その名も「みそじになる」。ふふ。
ところが当方、見た目のせいかそれとも言動のせいか、いまだに学生に間違われる。
電車で本を読んでいて隣の席のおばあちゃんに「学生さん?」と聞かれる。Zoomの会によばれてはじめましての方から「学生さん?」と聞かれる。仕事用の服を買おうとしていて、美人な店員さんに「学生さん?」と聞かれる。
全部今年に入ってからの出来事。それでも、もうすぐ30歳。
身に纏う空気はいつまでたっても学生かもしれないけど。
なんなんだろうな、自分では、大なり小なりいろんな変化を感じてるというのに。
せっかくの機会なので、感じた変化のいくつかをまとめてみたいと思う。
1. カラダの変化
- お肌
体の変化でまず感じるのは、肌の元気が無くなったこと。当たり前すぎる?毎朝鏡とにらめっこするせいか、これはもう本当に痛感する!このまえなんて、目尻にシミを発見してしまった。笑った時の小じわもいっぱい。おお、これがオバチャンになることか!なんてやけに感心してしまう。
といって何もしないでいるわけにいかないので、ネットでエイジングケアに関する情報をあつめている。とりあえず基本ケアにあわせて、ビタミンC(APSやAPPS)を補うようにしたけども、効果があるんだろうか。うーん。
- 体重
体重、ついに増えました。2kgも!!!!
大して変わらんやんけと思うかもしれないけども、ローティーンからずっと同じ体重だったので、自分としては動かざる石がついに動いた!という気分。このままじわじわと増え続けるのか、また均衡状態になるのか、いまは見守っているところ。スタイルの良い美魔女は目指すところにないので、できれば今よりもうちょいぽちゃって、健康的なオバチャンになりたい。 - 生理の周期
遅くなりました。これは女性ホルモンの関係なんだろうか。28日で安定していたのに、最近は10日ほど増えた。いずれ子どもがほしいけど、大丈夫かな。どれだけ社会が変わっても、生物としてのヒトの生体は変わらないので、そのあたり少し心配。
そうそう、ヒトという生物が子どもを2人しか産まなくなったのはここ100年(もっと短い?)のことで、いま経済レベルが低い国の女性も、今世紀中には平均して2人しか産まなくなるそう。これは、人類の長い歴史の中で、とっっっっても大きな変化。この変化が進化的にどんな影響を与えていくのか気になるなあ。とりあえず今の女性は、昔の女性に比べてはるかに生理期間が長い。妊娠期間がめちゃくちゃ減ったから当たり前なんだけど、体には負担みたい。
2. こころの変化
- 集中力が続かなくなった
昔はもっとガッツがあったような気がする。 これはわたしとしては由々しき事態。こんな心もとない状態で、30代の荒波をのりこえていけるんだろうか。まだまだ足りないところだらけなのに。
- 他人の目が気にならなくなった
オバチャンってすごいと思うことのひとつが、自分がどう思われているか気にしないたくましさ、別の言葉で言うと、図々しさ。
うちのお母さんもすごい。一緒にメルボルンを旅行した時、団体ツアーに参加していたら、英語しか喋れない相手とふつうに会話していた。”Wow, those paintings on the faces are fantastic!”とかいうイギリス人に、「ねえ、ほんときれい〜」と相槌を打っていた。ちゃんと会話として成立しているから笑ってしまった。他にも、電車内で音楽を聞いている女性に、"Pardon?"と話しかけたり。それって聞き返すときによく使われる表現じゃなかったっけ、あれ?と戸惑っているうちに、必要な情報をゲットしていてさすがと思った。オバチャン、すごい。
まだまだこの域には達していないが、わたしも昔よりは図々しさを身につけた気がする。バスの支払いでもたついても、焦ったりしなくなった。
- かわいいと言われても嬉しくなくなった
もちろん夫に言われるのは嬉しい。でも、他の異性から言われると困るし、自分はまだそのレベルか……とむしろがっかりするようになった。若いという特権は十分味わい尽くしたので、次はそれ抜きで勝負したいのに、実力がないから外見でほめられる感じ。学生に見られている以上仕方ないのかもしれないけど、自分の能力の無さに落ち込んだりする。
3. 本当に変わったのは
こうしてこころとカラダの変化をいくつか書いてみたけれど、最近いちばん実感するのは、習慣の変化。たとえばお酒をやめてスパークリングウォーターを飲むようになったとか、新聞を読むようになったとか、姿勢に気をつけるようになったとか、そういう小さなこと。
習慣の力。
って、あなどれない。だからこそ、休日にいつまでも寝ている自分が死ぬほど情けないし、すぐ昼寝しようとする自分がいやだし、今日は頑張ったからって言って夕ごはんの後すぐにベッドに向かおうとする自分が恥ずかしい。(これは、夫の影響。悪影響。)
習慣の力は偉大だから、悪い方にもかんたんに傾いていく。
日々を大事に生きないと。
こころやカラダを直接変えることはできないけど、習慣はいつでも変えられる。
そう思えば、歳をとるのも怖くないし、むしろ楽しみにならないかな。
なんというか、主体的に生きられるというか。
ここに書ききれなかったことも含め、自分に起きたさまざまな変化を見つめてみて、そんなふうに感じるようになった。
「人間に自由意志はあるのか?」と問われると、あるともないとも言える。人間も自然法則にしたがって増えたり減ったりする細胞のあつまりにすぎないと思えば、自由意志なんてないようにも思える。我々は、老化にむかってひたすらエントロピーが増大する細胞の集合体にすぎないのだ、なんて。
だけど、直感的に考えて、自由意志にしたがって行動しているように思える。
少なくとも自分の意志で、変化の方向づけくらいはできそう。もちろんいいほうに。
そうあれと願う20代さいごの1ヶ月。
誕生日を迎えるまで、暑さにも湿気にも負けるもんか!がんばるぞ!
みなさんの感じる変化についても知りたいなあ。